:::

蘭博電子報

149期-《2021南方澳國際學術研討會》論文十四:宜蘭県蘇澳郡南方澳漁港の発展に貢献した愛媛県西宇和郡二木生村(三瓶町)の漁業移民

2021/09/12 南方澳國際學術研討會  南方澳文化與人文|論文十四 專輯第361頁-373頁

發表人 : 古川勝三

評論人 : 卞鳳奎 | 國立臺灣海洋大學海洋文化研究所教授

古川勝三個人照
古川勝三個人照

編按

2021年適逢南方澳漁港建港一百週年,這是一個反省與再出發的契機。開港一百年,對南方澳及宜蘭乃至全台灣的歷史回顧,都是極具意義的一年。因此希望透過辦理「南方澳漁港百週年國際學術研討會」集合海內學界專家的參與,進行國際研討論述與交流,為百年的南方澳漁港留下紀錄,作為探討新方向的基礎資料。

 

蘭博電子報為延續並擴大相關議題的討論,會後將發表的論文取其摘要及結論逐期刊載。

2021南方澳百週年國際學術研討會專輯封面
2021南方澳百週年國際學術研討會專輯封面

論文節錄(原文為日文)

愛媛県西宇和郡には昭和29年まで二木生(にきぶ)村が存在したが、昭和の合併により三瓶町に組 み込まれた。さらに平成の合併により現在は西予市 三瓶町になっている。 

二木生村はもともと宇和島藩だったが、明暦3年 に宇和島藩が分家をつくった際に周木浦二及浦、垣生浦が吉田藩領に組み込まれた。やがて、明治に なると地名から一字ずつ取り二木生村が誕生した。 昭和になって二及から長早が分かれ大字になった。 

三瓶町の南西は宇和海に接続し、南は奥深く切り込んで三瓶湾を形成しているが、山が 海まで迫っていて平地は少ない。そのため段々畑を耕して麦や芋を植え、蚕を育てて生計を立てるしか道のない貧しい寒村であった。従って、農業より漁業が盛んで打瀬船を操って玄界灘や朝鮮半島まで出かける漁船もあった。 

明治35年(1902)に長早の漁師、濱田愛太郎は5人乗りの打瀬船「住吉丸」を使って長崎県 対馬 沖で漁をしていた。この時、大分県の漁師が行っているカジキマグロの突き棒漁法を知り、乗組員の浜田正秀、松本清造、菊池亀介、山本与平と共に初めて目にした漁法を教えてもらい習得した。地元に帰港し突き棒漁法を伝授したところ、「戎丸」の仲川磯五郎も参加するようになった。

----<論文全文請見檔案下載>

檔案下載

pdf 檔案